「英語版『千と千尋の神隠し』をアメリカで観る」
 
飯干真奈弥  
 
 秋学期の期末試験も終わりに近づいた去年の12月中旬、クラスメートたちを誘って映画『千と千尋の神隠し(英語名:Spirited Away)』を観に行った。映画自体は一昨年の夏に日本で一度観ていたが、配給元のディズニーが力を入れたという英語の吹き替えがどのようになっているかを確かめるため足を伸ばしたのだ。また、同じ映画学部で学ぶタイ人やアメリカ人の学生たちに、日本が誇る巨匠・宮崎駿の作品とそこに描かれている自分の美しい故郷を見せて驚かせたい、などという気持ちも少なからずあった。
 というのも、私の通う大学は2Dや3Dアニメーションを目玉学科にしているせいか、日本アニメの大ファンという学生がとても多い。キャンパスでも時折、講堂やラウンジで『Ghost In The Shell (甲殻機動隊)』や『COWBOY BEBOP』などを上映していたり、授業のなかで「アニメは子供向けのもの、というアメリカ人の概念を覆した記念碑的な作品」として大友克洋の『AKIRA』を紹介したりすることもある。同じ学部のクラスメートのなかには、「将来『AKIRA』のような映画を実写で撮るのが僕の夢なんだ!」などと熱く語ってくれたアメリカ人学生もいたくらいだ。これは、美大という特殊な環境だからこその状況とも言えなくはないが、『千と千尋〜』が昨年の第52回ベルリン国際映画祭の金熊賞に続いて、サンフランシスコ映画祭でもベスト物語部門でオーディエンス賞(観客賞)を受賞したことで、評論家や一部のジャパニメーション・ファンだけでなく、広く一般の観客にも日本アニメの存在感が認識されつつあるという実感をわずかながら肌で感じるようにもなった。
 その『千と千尋〜』を友人らと観に行ったのは、9月20日の全米公開から11週目頃だったのだが、なんといっても驚いたのはその上映館数の少なさである。なんと、サンフランシスコでも上映していた劇場はたった1館しかなかった。それも1日に午後2回だけの上映という。劇場はダウンタウンにあるユナイテッド・アーティスツ運営の映画館だったが、館内に入ると光熱費をカットしているのかと疑うほどの寒さ、そして暗さ。ソニーMETREON内にあるシネコンのあの明るさと快適さとは天と地ほどの違いだ。上映が始まっても館内の寒さはひどくなるいっぽう。皆コートを着たままである。これでは寒くて映画に集中できないではないか、と私は腹立たしい気分で席に埋もれていた。
 そして本編が始まるとすぐスクリーンに現れた<WALT DISNEY PRESENTS>の文字。通常は映画の冒頭に数秒現れるだけのこの文表示字が、なんだか不自然なほど長く感じる。エンドロールでも、英語版吹き替えのキャストやクルーなどアメリカ人スタッフのクレジットが最初に延々と流れる。もちろん、英語版の吹き替えは配給元のディズニーが集めた豪華なメンバーによるものだし、作品の雰囲気を壊さずにとても良く仕上がっている点は大いに評価されるべきだとは思う。とはいえ、日本が生んだこの傑作をここまで「ディズニー作品」らしく公開してしまうやり方に何か意図的なものを感じ、いささか辟易としてしまった私は考えすぎなのだろうか。
 そして上映フィルムの傷み方のひどさ、とりわけエンディング近くのシーンで半分褪色したフィルムを見たときには本当に失望した。数秒のこととはいえ、せっかくのラストシーンが台無しである。フィルムは上映するたびに傷みが増すため、画質保持のために定期的に新しいプリントを供給するのも配給の仕事のはずだ。「ディズニー作品」として公開していながら、決して積極的とは感じられない配給の姿勢に思わず首を傾げてしまう私はやはり、「考えすぎ」なのか。
 
『千と千尋と神隠し』劇場数はなぜ少ない?
 しかし、その後聞こえてきた『千と千尋〜』の上映館数の少なさに関する議論は、わたしの「考えすぎ」をさらに助長してしまうものだった。その議論とはこういうものだ。『千と千尋の神隠し』が昨年9月に全米公開された際、オープニングの劇場はたった26劇場(ニューヨークでもたった1館!)しかなく、最高でも5週目の151劇場だった。さらに私が観にいった11週頃からは再び34館に減っていたという。それに比べ、『千と千尋〜』より2ヶ月ほど後の11月27日に公開されたディズニーのアニメ映画『トレジャー・プラネット』は、実に全米3227館もの劇場で公開されているのだ。また、同年の3月に公開されて1億4600万ドル(179億円)の興行収入を記録したディズニーの『リロ&スティッチ』も3191劇場で公開されている。いったい、この差はどこからくるのか。作品の質の優劣か、それとも観客層の違いか。答えは、そのどちらでもないようである。
 『トレジャー・プラネット』は、『千と千尋〜』と比べ実に100倍以上もの劇場数で封切られたが、内容的な評価もファミリー層の人気も得ることができず、1週目の興行収入は感謝祭の5連休を含みながらも1660万ドル(20億円)、2週目は53%減の570万ドル(7億円)と、その上映館数にしては驚くほど低く、製作費1億4000万ドル(171億円)もすでに回収不可能と言われ、ディズニーアニメとしては過去最大の失敗作となる見込みだ。一方『千と千尋〜』の興行収入は、昨年末まででおよそ522万ドル(6億5100万円)程度と少ないが、その劇場数の少なさを考えれば『トレジャー・プラネット』よりもかなり回収率がいいことがわかる。また、当初26館しかなかった劇場数が5週目で150館を越したのも、親子連れの観客人気を呼んだためだ。さらには、権威あるナショナル・ボード・オブ・レビューの最優秀アニメ賞を受賞するなど映画批評家たちからの評判もすこぶる高い。
 それなのに『千と千尋〜』の公開劇場がなぜこうも極端に少ないのか。ディズニーは一体何を根拠にこの劇場数を決めたのだろうか。
 
ディズニースタジオ・クック会長への公開質問
 「New York Daily News」紙にコラムを掲載している評論家のジャック・マシューズ氏は、『千と千尋〜』を観たくても上映館が少なすぎて観られない、といった読者からの声におされて、こうした議論のなかで浮かぶ疑問を配給元ディズニーの関係者に問い合わせてみたが、はじめはだれも彼の質問に答えようとしなかったという。そこでマシューズ氏はついに昨年10月、ウォルト・ディズニー・スタジオの会長リチャード・W・クック氏へ対し、公開質問状を出したのである。
 『千と千尋〜』の小規模公開については、1999年にディズニーが宮崎駿監督の『もののけ姫』を英語の字幕付きで公開した際、全米での興行収入はわずか237万ドル(2億9000万ドル)であったため、その経験から今回も大規模公開のリスクを回避するためにあえて小規模公開にしたのではないか、という推測もある。しかし、マシューズ氏は、「『千と千尋〜』を(字幕ではなく)英語吹き替え版で見せ始めた際、観客からの評判はとても良かったのに、なぜこの映画を他のディズニーアニメのように公開規模を大きくし、もっと多額の宣伝費をかけて公開しなかったのか? 『千と千尋〜』は『もののけ姫』のようにダークで複雑なストーリーではない。子供も大人も楽しめる純粋なファミリー・ムービーとして売れたはずだ」と主張する。「この映画は女の子が不思議な世界で迷う"不思議の国のアリス"のような物語で、子供が十分楽しめる映画だ。『モンスターズ・インク』や『トイ・ストーリー』(ピクサー・アニメーション・スタジオ製作)も含めてディズニーがこの何年かの間に公開したどの映画よりも想像力がある」としている。
 またマシューズ氏は、宮崎駿監督の映画は、ディズニーの『白雪姫』と同じ伝統的手法である手描きと、新しいCG技術との組み合わせを生かすことに成功しており、ディズニーの全面的な宣伝活動を受けるに値するものだとしている。そして、ドリームワークスなどがアニメ映画に進出し、他社の競争でディズニーの土台が侵食されつつある現在、ディズニーはアニメ映画の基盤を拡大する最高の機会を失っているのでは、と警告している。
 このマシューズ氏の公開質問からおよそ一ヶ月、クック会長からの回答が届いた。その説明によると、「オリジナルの長期プランとしては、公開劇場を少しずつ増やしていき、うまくいけば1000劇場まで拡大していく計画だった。1000劇場で上映する予算は十分あったし、今でもその予算は使える状態にある。欠けているのは上映する劇場を増やす理由だ。」と、暗に劇場公開の需要自体が少なかったことを示唆。「もしも映画批評家のトップテンに入り、オスカーにノミネートされれば知名度もあがるし、公開劇場を増やせるはずだ」とのコメント。さらにクック会長は、『千と千尋〜』はアカデミー最優秀アニメ映画賞だけではなく、1991年の『美女と野獣』のように作品賞にもノミネートされるチャンスがあると信じている、と語った。しかし、作品賞にノミネートされるチャンスがあるほどの優れた映画だということが最初から判っているのなら、なおさら、なぜあれほど小規模に公開せざるを得なかったのか、なぜ宣伝にも力を入れなかったのか、という疑問は膨らむばかりだ。クック会長は、今年3月に行われるアカデミー賞の賞レースのために『千と千尋〜』もディズニーの他の2作品(『リロ&スティッチ』『トレジャー・プラネット』)と同じ宣伝費と時間をかけると言っているそうだが、果たして実際のところは誰にもわからない。
 
 個人的には、『千と千尋〜』のような優れた作品がより多くの人たちの眼に触れ、評価を高めていってくれたらどんなに素晴らしいだろうと思う。しかし私たち日本人にとってとても大切なあの作品が、ハリウッドの熾烈なパワーゲームの中の一駒として扱われることに何となく違和感を覚えてしまわないこともない。異界へと迷い込んでしまった千尋のように、どうか果敢に挑戦を果たし、無事に帰り道を見つけてくれることをただ祈りたい。一緒に『千と千尋〜』を観たタイの友人が、千尋がハクからもらったおにぎりを頬張って涙するシーンに一番胸を打たれたと言ったとき、私はとても嬉しかった。違う国に生まれ育った彼女もきっと私と同じように、あの瞬間、千尋と同じ歳頃だった昔の自分にひっそりと再会していたに違いない。なぜか、そんな気がしたからだ。
 
参考資料:「New York Daily News」紙 ジャック・マシューズ氏のコラム
http://www.nydailynews.com/entertainment/col/story/37951p-35839c.html