| 飯干: |
日本へ初めて来られたのは、外交官をなさっていたお父様のお仕事の関係で、高校生のころだったそうですね。 |
| ショット(以下F. S): |
そうです。でも、当時はインターナショナルスクールだったので、本格的に日本語やアジア文化について勉強をはじめたのは大学に入ってからです。国費留学生として、アメリカの大学からICU(国際基督教大学)に留学したんです。 |
| 飯干: |
ではその留学で、マンガとの大きな出会いが待っていたわけですね。 |
| F. S: |
そう。当時は大学の寮に住んでいたんですが、友人たちがみんな授業のテキストも読まずに、何か別のものを一生懸命読み耽っている。それがマンガだったんですね。そのうち僕にもいろいろ「これは絶対読んだほうがいい!」とかいって持ってくるんですよ。(笑)最初は日本語もよくわからなかったけど、マンガっていうのは絵がついてるから分かるでしょ。しかも面白い。で、これが日本語の勉強にも役立った。 |
| 飯干: |
なるほど。マンガは当時すでに日本の若者文化に深く浸透していたんですか? |
| F. S : |
というより、ちょうどその頃大学生が熱心にマンガを読み出したんじゃないですか。70年代の学生運動がピークをちょっと過ぎた頃ですから、学生の間にもまだまだ反体制というムードがあって、教科書なんか読まない、マンガだ、みたいなね。(笑)僕もどんどんマンガの魅力にハマってしまって。最初の頃読んでいたのは、赤塚不二夫『天才バカボン』や松本零士『男おいどん』などですが、あるとき友人に薦められた手塚治虫の『火の鳥』と出会って、それがもう決定打となってしまいました。 |
| 飯干: |
そして、ついにはその手塚治虫先生ご自身とも出会われたわけですよね。どのようなきっかけだったんでしょうか。 |
| F. S: |
当時、マンガ好きの友人たち3人で翻訳グループを結成して、大好きな手塚先生の漫画を英語に翻訳しようと思い立ったんですね。で、突然彼を訪ねて行ったんです。 |
| 飯干: |
え!! いきなりですか? |
| F. S: |
そう、いきなり。僕たちもまだ若かったですからね。そういう勢いだったんですよ。(笑)でも、手塚先生はとても優しく僕たちを受け入れてくれて、すぐに『火の鳥』の翻訳をすることが決まったんです。でも、後で聞いたら、「なんだかよくわからん連中がいきなり押しかけてきて、しかもそのうちの一人はものすごく背の高い外人だし、実はちょっと怖かったんだ」って言ってましたけどね。(笑)結局、『火の鳥』の翻訳はすぐにできたんですが、当時まだ英語圏に日本マンガのマーケットなんてなかったですから、どこからも出版できなくて、その後25年間も手塚プロの金庫の中に眠ったまま、ようやく1年前に陽の目を見て、アメリカで出版されたんです。 |
| 飯干: |
そうだったんですか。そして、現在は『鉄腕アトム』のほうも翻訳なさってますね。 |
| F. S: |
 |
英語版『鉄腕アトム』
("Astro Boy" Vol.1)
(c)2002, Tezuka Productions /
Published by Dark Horse Comics |
これも昨年から毎月1巻ずつ発刊されています。日本ではもう新しいテレビシリーズの放映が始まりましたが、アメリカでも来年の正月から春にかけてワーナーブラザーズのキッズチャンネルで放映が始まります。劇場用映画の方も、もう数年前からソニーピクチャーズが製作中ですが、どうもスムーズに進んでいないようですね。 |
| 飯干: |
手塚先生が北米を訪問された際にも、一緒に通訳としてご同行されたそうですね。 |
| F. S: |
はい、旅を通じて彼と長い時間を共に過ごせたことは何よりも幸運だったと思います。なにしろ、ベレー帽を被っていない手塚先生を見られたんですから。(笑)先生は本当に常に親切な方でした。僕の人生に大きな影響を与えた方です。ある意味で、僕がこれまでやってきたマンガ関連の研究や執筆活動は、ほとんど彼の影響と言ってもいいでしょう。僕の最初の本にも前書きを書いて下さいました。彼はとにかく、スポンジのようにものすごい情報の吸収力を持った方で、それをすぐに面白いストーリーに仕立ててしまう天才でした。また、年齢や知識の多さなどに関わらず、ありとあらゆる人たちとコミュニケートできる稀な才能を持った方でもありましたね。 |