作家・マンガ評論家
フレデリック・ショット氏 インタビュー
 
飯干真奈弥  
 
 出会いというのは本当に不思議なもので、思いもよらないところに、しかしこれ以外にないという絶好のタイミングで突然やってくる。そのような出会いをするときは、まるで向こうから自然に扉が開いてすっと中へ引き寄せられていく感じがする。アメリカでの生活もすでに一年を経過したが、このレポートでインタビューさせていただいた方々との出会いも常にそのようにして訪れたものばかりだった。
 そして、今回お話を伺うことができたショット氏とも、知人に誘われて映画を観に行った先で本当に偶然お会いしたため、不勉強な私は彼が日本でも有名なマンガ評論家であり、あの手塚治虫の作品を英語に翻訳した人物だということなど知りもせず、「なんだか妙に日本語の上手い人だなあ」などと呑気に感心していたのである。
 ショット氏は、ノンフィクション作家としてマンガやロボットをはじめとする日本文化への深い洞察に富んだ著作を執筆し続ける一方で、手塚治虫の『火の鳥』(“Phoenix”)や『鉄腕アトム』(“Astro Boy”)、中沢啓治の『はだしのゲン』(“Barefoot Gen”)、池田理代子の『ベルサイユのばら』(“The Rose of Versailles”)、そして士郎正宗の『甲殻機動隊』(“Ghost In The Shell”)といった作品を、英語圏の読者たちに紹介してきたマンガ翻訳家でもある。
"Manga! Manga!
The World of Japanese
Comics"(1983)
(c)1983, Frederik L. Schodt

 今からちょうど20年前、彼が1983年に初著“Manga! Manga! The World of Japanese Comics”を発表した当時、海外で「MANGA」という言葉を知っている人はおそらく皆無であったろう。彼はこの本の中で、日本マンガがどのような歴史的・文化的背景から生まれてきたかを紹介し、そのルーツを中世の地獄絵や浮世絵にまで溯って解説した。そして現在、この「MANGA」という言葉は「ANIME」と並んで、アメリカの、いや世界中の一部若者たちの間ですでに定着してきているといっても過言ではない。その証拠に、今アメリカでは“How to Draw Manga”という日本スタイルのマンガを描くためのノウハウ本が、この分野としては驚異的な売れ行きを見せているのだ。
 この「MANGA」という日本語が、「KARAOKE」同様に現代アメリカ英語の辞書の一頁に加えられる日もそう遠くはないだろう、とショット氏は語る。「MANGA」を最初に英語圏へ持ち込んだ張本人ともいえるそのショット氏に、ご自身の漫画との出会い、そして日本のマンガ文化の今後などについて伺ってみた。
 
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手塚治虫氏と。(1981年、神戸にて。)
(c)1981, Frederik L. Schodt
日本、マンガ、そして手塚治虫氏との出会い
飯干: 日本へ初めて来られたのは、外交官をなさっていたお父様のお仕事の関係で、高校生のころだったそうですね。
ショット(以下F. S): そうです。でも、当時はインターナショナルスクールだったので、本格的に日本語やアジア文化について勉強をはじめたのは大学に入ってからです。国費留学生として、アメリカの大学からICU(国際基督教大学)に留学したんです。
飯干: ではその留学で、マンガとの大きな出会いが待っていたわけですね。
F. S: そう。当時は大学の寮に住んでいたんですが、友人たちがみんな授業のテキストも読まずに、何か別のものを一生懸命読み耽っている。それがマンガだったんですね。そのうち僕にもいろいろ「これは絶対読んだほうがいい!」とかいって持ってくるんですよ。(笑)最初は日本語もよくわからなかったけど、マンガっていうのは絵がついてるから分かるでしょ。しかも面白い。で、これが日本語の勉強にも役立った。
飯干: なるほど。マンガは当時すでに日本の若者文化に深く浸透していたんですか?
F. S : というより、ちょうどその頃大学生が熱心にマンガを読み出したんじゃないですか。70年代の学生運動がピークをちょっと過ぎた頃ですから、学生の間にもまだまだ反体制というムードがあって、教科書なんか読まない、マンガだ、みたいなね。(笑)僕もどんどんマンガの魅力にハマってしまって。最初の頃読んでいたのは、赤塚不二夫『天才バカボン』や松本零士『男おいどん』などですが、あるとき友人に薦められた手塚治虫の『火の鳥』と出会って、それがもう決定打となってしまいました。
飯干: そして、ついにはその手塚治虫先生ご自身とも出会われたわけですよね。どのようなきっかけだったんでしょうか。
F. S: 当時、マンガ好きの友人たち3人で翻訳グループを結成して、大好きな手塚先生の漫画を英語に翻訳しようと思い立ったんですね。で、突然彼を訪ねて行ったんです。
飯干: え!! いきなりですか?
F. S: そう、いきなり。僕たちもまだ若かったですからね。そういう勢いだったんですよ。(笑)でも、手塚先生はとても優しく僕たちを受け入れてくれて、すぐに『火の鳥』の翻訳をすることが決まったんです。でも、後で聞いたら、「なんだかよくわからん連中がいきなり押しかけてきて、しかもそのうちの一人はものすごく背の高い外人だし、実はちょっと怖かったんだ」って言ってましたけどね。(笑)結局、『火の鳥』の翻訳はすぐにできたんですが、当時まだ英語圏に日本マンガのマーケットなんてなかったですから、どこからも出版できなくて、その後25年間も手塚プロの金庫の中に眠ったまま、ようやく1年前に陽の目を見て、アメリカで出版されたんです。
飯干: そうだったんですか。そして、現在は『鉄腕アトム』のほうも翻訳なさってますね。
F. S:
英語版『鉄腕アトム』
("Astro Boy" Vol.1)
(c)2002, Tezuka Productions /
Published by Dark Horse Comics
これも昨年から毎月1巻ずつ発刊されています。日本ではもう新しいテレビシリーズの放映が始まりましたが、アメリカでも来年の正月から春にかけてワーナーブラザーズのキッズチャンネルで放映が始まります。劇場用映画の方も、もう数年前からソニーピクチャーズが製作中ですが、どうもスムーズに進んでいないようですね。
飯干: 手塚先生が北米を訪問された際にも、一緒に通訳としてご同行されたそうですね。
F. S: はい、旅を通じて彼と長い時間を共に過ごせたことは何よりも幸運だったと思います。なにしろ、ベレー帽を被っていない手塚先生を見られたんですから。(笑)先生は本当に常に親切な方でした。僕の人生に大きな影響を与えた方です。ある意味で、僕がこれまでやってきたマンガ関連の研究や執筆活動は、ほとんど彼の影響と言ってもいいでしょう。僕の最初の本にも前書きを書いて下さいました。彼はとにかく、スポンジのようにものすごい情報の吸収力を持った方で、それをすぐに面白いストーリーに仕立ててしまう天才でした。また、年齢や知識の多さなどに関わらず、ありとあらゆる人たちとコミュニケートできる稀な才能を持った方でもありましたね。
 
いま、日本のマンガ・アニメ文化が危ない!?
飯干: しかし、その後はそのままマンガ翻訳家になられたというわけでもないんですね。
F. S: なにしろ、当時英語圏に読者なんていないですからね。だから、僕は無理してマンガを翻訳し続けるより、その前に、日本文化としての「MANGA」を紹介する本を書いたほうがいいのではないか、と思ってアプローチを変えたわけです。
飯干: なるほど。そこから評論家としてのキャリアが始まるわけですね。このレポートの連載2回目のインタビューに出ていただいたVIZ LLC(注)の堀淵清治社長も、会社を設立される前にショットさんの所へ相談しに行かれたと伺いました。
F. S:
『ニッポンマンガ論』(1996)
(c)1996, Frederik L. Schodt
はい。『ニッポンマンガ論』(1996)という本の中にも書きましたが、彼が相談に来た1985年当時、アメリカには日本のマンガなんてまったく流通していなかったし、アメリカ人に受け入れるとも思わなかった。なにしろ、日本マンガは日本という国の文化背景と非常に深く関わっているものだから、それがネックになると思ったんです。だから彼にも、「あんまりうまく行かないと思うけどなあ」なんて言ったのを憶えています。(笑)でも、今では彼らの努力が実って、アメリカに日本マンガのマーケットを作り出すことに成功した。去年には「少年ジャンプ」まで発売されたしね。当時の状況からはまったく考えられないことです。しかも、最近では日本のいわゆる「少女マンガ」と呼ばれるジャンルのものが、アメリカでよく売れているんですよ。よく分かるなあ、なんて僕なんて思ってしまうけど、アメリカ人の若い子たちも、だんだん日本のマンガを理解する感性に近づいてきているんでしょうね。
飯干: 日本では、アメリカでの「少年ジャンプ」の創刊や、「ポケモン」、「千と千尋の神隠し」のようなアニメの成功という状況を受けて、アメリカ市場に対する期待が異様なほど高まってきている、という気がするんですが。
F. S: その通りです。しかし、はっきり言って、マンガもアニメもアメリカではどちらかというとまだサブカルチャーの部類なんです。日本のように、それがメインストリームの文化として大きな消費の対象となっているわけではありません。しかし日本の感覚からすると、アメリカの人口は日本の2倍だから、マンガやアニメでも単純に2倍の消費が見込めるなどと思ってしまう。でもそれはちょっと違うと思います。
飯干: 以前、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、「日本のマンガやアニメは、アメリカでは永遠にサブカルチャーでしかありえない。それをハリウッドが上手く吸収して『マトリックス』のような映画としてメインストリームの消費層向けに今後も作り直していくだけなのでは」ということをおっしゃっていました。
F. S: 非常に鋭い指摘だと思います。今、日本のマンガやアニメを消費しているアメリカの若者層というのは、それがサブカルチャーだからこそ好きなんです。「人が知らない、人と違う何か」を求めていくうちに、日本のマンガやアニメに行き着いたわけです。だから、サブカルチャーとして愛していた対象がメインストリームになってしまったらつまらない。仮にそうなってしまったら、彼らはまた別の新しいサブカルを探さなくちゃならなくなる。これまでのサブカル・ファン層が、メインストリームになった途端に離れてしまうという可能性はありますね。ただし、メインストリームになれれば、の話ですが。なかなか難しいと思いますよ。
飯干: 一方で、近年ハリウッドの映画はコミックを原作にした作品がますます増えていて、そうした流れから、日本マンガの原作に対する注目も集まっていると聞きます。
F. S: そうですね。だから、日本のマンガやアニメというのは実は今、かえって危険な状況にあるともいえるのです。というのも、仮にアメリカでテレビや映画として製作されるとなったら、予算は日本のアニメ製作とは比較にならないほど膨大なものです。そうした資本が本気で日本のマンガ原作者やシナリオライターの能力を買っていってしまったら、日本のマンガ・アニメ文化はそれこそ空洞化していまいます。また、現在日本の製作者たちはコストを抑えるために韓国をはじめとするアジアへ下請けを発注するなどしています。こうした技術の流出は、やがて日本製でないマンガやアニメ文化の育成を促すことになるでしょう。またアメリカでも、日本のマンガを真似して自分たちの生活に即した「MANGA」を描こうとしている若者たちが育ってきています。かつて、日本漫画の先人がアメリカのコミックを読んで技術を吸収したように、今はその逆のことが世界中で行われているわけです。ということは、「MANGA」や「ANIME」は日本だけのもの、とは言っていられない状況になってきているのです。しかし、それが時代の流れというものかもしれませんが。
 
(注) VIZ LLC(ビズ・エル・エル・シー)。小学館・集英社合資の出版社で、日本の人気マンガなどを英訳して米国内で出版している。(本社サンフランシスコ)
 

フレデリック・ショット氏
(Frederik L. Schodt)

略歴
作家、漫画評論家、翻訳家。
1950年、米国ワシントンDCに生まれる。作家としての執筆活動のほか、英語圏に日本マンガを紹介する記事やコラムを執筆、講演会活動などもしている。また、翻訳家、通訳者としても多方面で活躍。中沢啓治、池田理代子、松本零士、手塚治虫、士郎正宗、星野之宣、そして明治時代に渡米して最も早くストーリーマンガを出版した日系人、木山義喬など多くのマンガ家の作品を翻訳して海外に紹介した。83年の初著『Manga! Manga! The World of Japanese Comics』で、日本漫画作家協会より第2回マンガ・オスカー賞特別賞を受賞。2000年には日本マンガを海外に広く紹介した功績を称えられ、朝日新聞社の手塚治虫文化賞特別賞を受賞した。
サンフランシスコ在住。

 フレデリック・ショット氏ウェブサイト http://www.jai2.com/
 
   フレデリック・ショット氏の最新刊 

NATIVE AMERICAN
in the LAND of the SHOGUN

1848年、まだ鎖国下にあった日本で近代化への道のりを助けた一人のネイティブアメリカンの軌跡を追うノンフィクション。

(c)2003,Frederik L. Schodt


 
ANIME EXPO 2003 レポート

 今回はショット氏のインタビューに併せて、ロサンゼルス近郊のアナハイム・コンベンションセンターで7月3日から6日まで行われた全米最大のジャパニメーションの祭典、ANIME EXPO 2003の見学レポートをお届けする。このイベントを主催しているのは非営利団体、日本アニメ・プロモーション協会(SPJA)で、開催12年目を迎える。1992年の第一回目の参加者はたった1750人であったが、その数も年を経るごとに急速に増加し、今年はついに1万8000人にも達した。その内訳をみると約6割が男性、4割が女性という。
 実際に会場へ入ってみると、なるほど様々なコスチュームに身を包んだ女性ファンの姿が目立つ。とりわけ高橋留美子のマンガ『犬夜叉』に登場するキャラクターが多く、赤い袴姿の女の子が、背中に『I am not KIKYO(=桔梗:『犬夜叉』の登場人物の一人)』などと冗談の張り紙をしているのも見かけた。また日本のマンガに数多く登場する刀を展示販売しているブースもあり、アメリカ人の若い男の子たちが刀を鞘から取り出して熱心に見入っている光景などは非常に興味深いものがあった。その他にも、グリコのポッキーなど日本のスナック菓子が売られていたり、日本の旅行エージェントが出展していたりと、ちょっとした「日本見本市」のような様相を呈していた。
 さて、このエクスポの最大の目的である「日本のアニメ・マンガ業界のファンとプロの交流を深める」ための催し物が会場内のいたるところで開かれていた。中でも人だかりが多かったのは、やはり作家や声優たちのサイン会。全米でも好評放映中のアニメ「ドラゴンボールZ」の声優たちや、マンガ「エクセル・サーガ」の作者、六道神士氏のサインを貰おうと若者たちが長い列を作っていた。他にも日本から多数のゲストが招待され、ファンで溢れる会場内を賑わした。
 そんななか最も興味深かったのは、出版社のひとつが主催していた、とあるサイン会。何も知らずに通りがかり、ずいぶん長い人の列ができているなあ、と思って覗いてみると、サインをしているのはまだ10代か20代もそこそこといった感じの若者4人。「あの人たちは一体誰なの?」とそばにいた男の子に訊ねたところ、出版社が開催したマンガコンテストに優勝したばかりのまだ無名のアーティストたちとのこと。一体どんな絵を書くのかと思いきや、まるきり日本のマンガそのもののタッチである。ショット氏のインタビューでも出たように、「MANGA」を描くノウハウ本がアメリカで売れているのも、こうやって、日本のマンガ・アニメ文化にどっぷりと浸かった若者たちが、受容する側から表現する側へと少しずつ移行を始めているからなのだ。考えてみれば当たり前の現象である。そのような意味でアメリカのマンガ・アニメ文化は、実は今静かな揺籃期にあるのかもしれない。
『犬夜叉』などのコスチュームを着込んだ女の子たち。左から2番目の女の子の背中には「I am not KIKYO」との張り紙が。
 
日本のスナックを買いに来た女の子。
 
熱心に刀に見入る男の子たちもいっぱい。
 
全米で放映中のアニメ「ドラゴンボールZ」の声優たち。
左がクリリン役Sonny Strait氏。

 
マンガ「エクセル・サーガ」作者、
六道神士氏のサイン会場にて。

 
コンテストで優勝した新人たちのサイン会。
ここから将来のビッグスターが生まれるかも?
 
「MANGA」を描くノウハウ本のほか、マンガ用具なども数多く売られていた。