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情報社会を構成する要素はコンピュータや携帯電話などの端末装置を提供するプラットフォーム、それらを相互に接続するネットワーク、そして両者の内部を通過するコンテンツということになっているが、最初の二者とコンテンツとは性質が根本から相違している。最大の差異はプラットフォームとネットワークは共通である、すなわち互換可能であることが重要であるが、コンテンツは独自であるほど価値があるという特徴である。
「デジタルコンテンツ白書」によれば、全体で70兆円程度である情報産業のうち、プラットフォーム産業が25兆円、ネットワーク産業が17兆円、そしてコンテンツ産業は新聞や出版も合計して25兆円というのが日本の現状である。この25兆円という数字は金融保険産業の34兆円、建設産業の33兆円、運輸産業の23兆円などに匹敵する巨大な産業であるが、そのような経済の視点だけからではない重要な意味がある。
ダグラス・マグレイが提案したように、時代はGNP(国民生産総量)からGNC(国民文化総量)へ移行するとすれば、その文化の中枢となるのがコンテンツということでも重要であるし、一国の内部で独自という特徴を発揮できるコンテンツの存在場所は国家全体に遍在しているのではなく、それぞれの地域に偏在しているとすれば、国家が中央集権体制から地方分権体制へ移行していく時代の源泉としても重要である。
さらにブータン王国のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が提唱しているGNPからGNH(国民幸福総量)へ社会の目標を変更する時代を想定すれば、その幸福を提供してくれるのは便利な端末装置や高速な通信回線ではなく、その内部を流通する多様な情報であることはいうまでもない。このように検討してくると、コンテンツは経済、文化、生活という様々な側面で21世紀の重要な概念であることは明確である。
その一方、日本の現状を展望してみると、コンテンツを創造する人材の育成は韓国や中国に出遅れているし、コンテンツを国力とする政策はアメリカ、イギリス、フランスなどと比較して明確ではない。それはイザヤ・ベンダサンが指摘した農耕民族特有の差異への抵抗がある横並び精神が影響しているのかもしれないが、明治維新で工業社会へ転換したときと同様の勇気をもって、情報社会へ飛躍する勇気が必要である。 |