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●映画とテレビ
昨年は洋画・邦画の公開本数の比率がほぼイーブンになったが、フジテレビは映画で驚くような興行収入(以下、興収)を生み出している。テレビ局が映画をやる理由をよく聞かれるが、当初はテレビの人間に映画など作れないと思われており、ほとんどの作品は映画監督で作っていた。テレビドラマの監督が映画をやるようになったのは1990年代後半からである。最近「踊る大捜査線」という大ヒットが生まれたことにより、映画界にテレビ監督が通用することが十分認知されたと思う。
テレビ局の社員はどれだけのソフト制作経験があるのかという点であるが、例えばフジテレビの年間の編成制作予算(いわゆる番組の予算)は約1千億円で、現場に入って10年も経ったら何百本もの番組を作ってしまう。映画監督が映画を作る本数より遥かに多い。この点では映画界だけで育ってくる人よりも制作経験を積んでいると言うことができ、技術も早く身についてしまう。しかし慣れた職人さんになりやすいという悪い面もある。毎日視聴率が出てくるので、こうすれば当たるだろうかと考えたりし、自分が最初に何をやろうとしていたのか根本が分からなくなってしまうことがある。
●メディアミックス展開
フジテレビとしては「南極物語」(1983年公開)の映画製作に乗り出したとき、国民映画と言って大々的なスポット展開をし、初めてメディアミックスを行った。当時のフジテレビには、『フジテレビはテレビ局ではなくソフト制作工場であるべき』と言う一種カリスマの人がいた。テレビ局というのは電波をもっているだけでなく、根本はソフト制作工場であって、その出口はテレビでなくてもよく、映画を作りたければ映画製作を、その後ビデオを作りたければビデオプレスすればよいという考えである。BSだ、CSだと新しい出口ができる毎にいち早くそれらのメディアに進出してやって行こう、作りたいソフトは同じではないかと。そこからフジテレビはソフト工場であることを標榜するようになり、映画製作に積極的に乗り出していった。
近年は放送外収入(広告収入)が伸び悩んでおり、放送外収入や利益率を高めることが至上命題になってきた。このことも各局が映画に乗り出してきた理由の一つでもあると思う。余談ぎみになるが、映画は買うと物凄く高い。ハリウッドの大作映画を買うと1本で何十億円とする。例えば興収100億円の映画だと、放送権料は5億円ぐらいが目安になる。テレビ局としては、2時間の放送枠でただ1回放映するだけで5億円が消えていくことになる。ただし、通常は単品買いでなく、その他の映画を何本か含めてパッケージとして購入し、深夜に放映したりしている。2000年以降、洋画の視聴率がかなり低下しているにもかかわらず、地上波での放送権料は今だに高いままである。であれば自分達で映画を作ればいいではないか、となってきた。
自分達で作った映画が当たればいい事ずくめになる。どの放送局も、自分達で作ろう、宣伝して当てようとし始め、邦画の製作本数が飛躍的に増えた。映画業界では、これは一過性のものであって洋画がまた強くなるのではないかという見方が多いが、我々は、邦画が結構いい勝負をする傾向は続くだろうと見ている。また少し脱線してしまうかもしれないが、『すべてのソフトはドメスティックになる』というのが持論である。あらゆる大衆娯楽は、最初は輸入品で始まるが、自分達で作るようになれば、国内での制作の方が絶対有利である。例えばアニメーションは米国製に取って代わったし、テレビドラマもだんだんと日本製になった。映画も同じで、日本には無いジャンルあるいは日本では無理というものでない限り、置き換わっていくだろうと思う。
国産のメジャーな作り手として我々があり、地道な経験をしてきた。それがようやく花開いてきたというのがここ20年間の成果だと思っている。
●映画の企画
フジテレビは映画の企画をどのように立てているかであるが、先ずやってはいけないことはヒットメーカーを連れてくること。当たった人はとかく我儘になりがちであり、なかなか人の言うことを聞かない。当たった人を揃えると大体は空中分解してつまらないものが出来上がる。これは失敗しないための第一の鉄則である。また、当たるものははっきりしていないが、絶対にコケるだろうというものははっきりしている。したがって当たるパターンを探すよりは、絶対にコケるパターンを排除すること。そして一方で当たりやすい環境を作ること。これによって企画に多様性が生まれる。
映画は比較的単純なビジネスであり、観客席の数が決まっているため、得られる興収が予測できてしまう。倍の製作費をかけたからといって倍の鑑賞券が売れるかというと無理である。日本映画の場合、適正な製作費はハリウッドの1/10と言われているが、5億円を超えたら相当当てないと採算がとれない。しかし、興収1億円クラスでさえ、年間何本ぐらいあるかと言うと、そんなに無い。だから、プロデューサーに面白い企画を持ってこられても、ではいくらで作れるのかを問うことになる。
我々の中では、人は管理しても企画は管理するなと言っている。企画がある一定の範囲の条件をクリアーしていれば、あまり文句はつけないようにしている。管理しようとすると、自らの成功体験を押し付けがけになり、結局は同じような企画しか認められなくのを防ぐためである。
こうやって出てきた幸運な企画を最適なメディアで送り出してやる。出口はいろいろとあるので、映画として送り出すだけでなく、テレビがいいと思えばテレビの方に推薦したりする。
●映画の公開
一番大変なのは、映画は公開して当てることである。面白いというのが先ず基本であるが、どうすれば観客に面白そうと思わせるか、これが出来ないと意味がない。映画は、ただ知名度を上げるだけでなく、中身がどうなのか、ポイントをキチンと伝えられるかどうか、到達度が非常に重要になってくる。そのためには、テレビメディアだけでなく、活字メディアや、映画館での予告・宣伝も大事である。例えば女性がターゲットの場合、女性雑誌における映画の批評記事などがすごく大事になってくる。
映画は公開期間が4週か5週しかない。自分が見る側になると、ちょっと見逃すともうロードショーが終わってしまっているということになる。月間で2本以上見るというのはなかなか大変であり、今この映画を見ないと話題に乗り遅れてしまう(イベント感)と思わせないと、なかなか映画館に足を運ばない。そうなると、ベスト2の映画に入らなければダメで、5位以下の作品になると興収がドンと下がるというのも理解できる。3位以下になるようであれば公開時期をずらすのも有効である。「海猿2」(5月公開)があそこまでヒットしたのは、洋画の大作がワールドカップのために6月の公開を見合わせており、その間も走れたことが大きい。
アメリカの映画を見て分かるように、稼ぐのは新作が出てほぼ1週間の間である。2週、3週に入ったらもう終わりという感じさえある。ヒットしない映画は公開日数が多くあってもあまり意味がないことになる。特に最近はシネコンが6割強あり、コケた映画は3週間で打ち切られる(2週間の例もある)。これは映画のコンビニ化とも言われているが、売れ筋つまり当たっている映画には例えば3スクリーンが割り当てられる。1映画につき1スクリーンなら、残り2本の映画ははじき出されるということになる。本来であればもっと稼げた映画が稼げないまま終わってしまう。したがって、より勝ち組みに入るためにも、この週は絶対にこれを見ないと…と思わせるぐらいに盛り上げていく作業・労力が大事になってきていると思う。
●ネットの活用
映画に関しては、ネットの活用はすでにかなり行われている。「踊る大捜査線」も、実はインターネットの世界が一番反応してくれ、そこのファンによって引き上げられた作品だろうと思っている。映画は1 wayのメディアであるが、お客の参加できる2 wayはインターネットならではのものである。興行の成功を左右するという面からも、ネットの活用は大変重要になっていると思う。
ネットの活用は、新作映画を公開する場面だけでなく、今後、映画配信をどうするのかというところにも関係し、この辺は近々避けられない世界になってくるだろう。
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