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昨年秋、インターネットで次のような一文を見つけた。
「告知: 裏本は発売されなくなりました。今後は裏ビデオの情報をのせていく予定です」
アダルトの違法サイトであるホームページに「裏本の死」が宣告されていたのだ。一つの表現が終わったことを知らせるものとして、昨年、最も記憶に残る事件の一つだった。2006年は裏本が死んだ年として私には記憶されることになった。
裏本にこだわるのは、それなりの理由がある。性表現は、常に新しいメディア技術の先導役となり、その動向を見ていると新たに生まれ出たメディア技術が普及するかどうかの判断がつくからだ。
売春が人間最古の仕事であると言われているように、性欲は人間の基本的欲望であるため、性欲に関係する表現はいつの時代にも存在しているし、またいつの時代でも取り締まりの対象になってきた。しかし取り締まろうとすると、そういったものをかいくぐつための新しい技術や手段を見つけ出し、表現し、それを届けようとする、驚くほどの涙ぐましい努力がなされてることになる。性器を誇張した日本の浮世絵を外国人が総称した「ウタマロ」が、いまもって日本を代表するイメージの一つとして残っているということは、そういったものを見たいという欲望が国境すらも軽々と越えていた証だ。
新しいメディアが出るときには、取り締まりの社会的整備ができていないため、そういったものに使われることが多い。新しいメディアが登場したとき、まっさきに飛びつくのは3Aである。つまり、ローマ字にすると頭文字にAがつく、「新しい」、「危ない」、「怪しい」内容、性表現や宗教がいかなる時代にも新しいメディアを真っ先に使う。これを新しいメディアの「3Aの原則」というが、「新しい」、「危ない」、「怪しい」に「アダルト」を加えて「4Aの法則」ということもある。宗教にのめり込むのも成人であるからだ。
グーテンベルグが活版印刷機を発明したときに、まず印刷されたのは聖書だった。写真や映画、ビデオなどの技術の即物的な写実性に、まっさきにとびついたのは性表現だった。いつの時代でもメディア技術の先導役である。
インターネットは表現の流通革命を引き起こし、見たり聞いたりする欲望に即物的に応えるシステムとして、性表現だらけの空間を作りあげ、ついに裏本の息の根を止めてしまった。まさに3Aが時代を先駆ける実例を見せつけられたのである。インターネットが裏本の息の根を止めたのであったとしたら、「裏本の死」は本そのもの死、さらに言えばパッケージそのものの死を先駆けるものなのだろうか。それは3Aだけのことだけなのか。
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