プロデューサー育成シンポジウム

 
 平成16年2月9日、六本木ヒルズにおいて、プロデューサー育成シンポジウムが開催された。
本シンポジウムでは、「グリーンディスティニー」「ヒーロー」のプロデューサーである、Bill Kong氏による基調講演、招待講演として英国のNational Film and Television School(NFTS)からRoger Crittenden氏とLee Thomas氏による講演が行われた。ここでは、基調講演と招待講演の内容を紹介する。
  

 
 基調講演  プロデューサーという職業
Bill Kong氏 
 最初にアジアのプロデューサーとして、プロデューサーとは何かという定義をしたいと思います。アジアにおける定義は西側、例えばロサンゼルス、西欧の定義と多少違ったところがあるように思います。
 アメリカないしは西欧においてはプロデューサーというのは非常に早い段階でアイディア作り、脚本開発、スタートをし、脚本から映画の制作全てについて手がけるものです。あらゆることを最後から最後までスムーズにいくように保証し、何か問題があればプロデューサー自ら解決します。そして撮影が終わった段階で編集・音付けなどのポストプロダクションがきちんとされているかを確認し、35ミリのフィルムとなるまで見届けるというのがアメリカのプロデューサーというものだと思います。アメリカ、西欧においては他にエグゼクティブプロデューサーという役割があり、制作の速い段階で資金面の全ての管理、脚本が出来た頃から係わります。
 つまり西欧においてプロデューサーというのはいかに映画を製作するか、エグゼクティブプロデューサーというのはいかに資金を調達するかということになります。
 ただしアジアにおいてはそれが交差しているケースが多いように思われます。我々にはアメリカのように成熟したシステムはありません。
 アジアのプロデューサーというのはエグゼクティブプロデューサーの役割も兼ねなくてはならないということです。少なくとも私の出身であります中国香港においてはきちんとしたスタジオは揃っていません。ですからプロデューサーの役割というのはエグゼクティブプロデューサーの領域も含まれることになります。そこでは資金あつめの長いプロセスを経験することもあります。
 私がプロデュースした「グリーンディスティニー」は、1930年代の中国の武道に関する小説から作られた映画です。1980年代後半から90年代初めにアン・リーはこの中国の武道を題材にした映画を作りたいといっておりました。こういったアクション映画は大変お金がかかります。私たちはこの種の映画は作れないと思っていました。アン・リーはこの脚本をつくり、デベロップした結果予算は、最低は1500万ドルとなりました。
 私はぜひこの映画を制作したいと思いました。私とアン・リーはクリエイティブなキャリアの中で、その時が絶好調にあったと思います。撮影に6ヶ月かかる予定でしたが、今こそやるべきだと思いました。
 ところが制作がスタートし、ほとんどキャスティングも決まった段階でアジアにおける小さな金融危機が起こり、投資家がいなくなりました。
 しかし、とにかく制作を続けることにしました。私はアン・リーにアメリカの配給システムでやってみようという提案を致しました。それは銀行に対して投資をお願いするというものです。まず私たちは香港の最大手の3つの銀行へ行きました。しかし、彼らには映画の知識は無く、理解も得られませんでした。彼らはソフトの話を信じてくれませんでした。例えば映画にとって、脚本が財産であることを説明しましたが、それよりも住所はどこかということを聞かれました。
 そこでアメリカのシステムを利用するためにロサンゼルスに飛び立ち、いくつかの銀行をあたりました。彼らは資金提供をすぐに承諾をしてくれました。それもアン・リーの映画が好きだからというそれだけの理由です。彼らは本当に映画が好きなのです。銀行の中に映画に投資する部署が設けられており、映画産業に投資をしている実績もありました。住所を聞くようなことはしませんでした。キャストは誰なのかということなど、情報はすべて伝えました。しかし、ミーティングが進むにつれ、先方より長い質問のリストがでてきました。ここから資金調達が始まりましたが、これは痛みを伴うこともありましたが、素晴らしいプロセスでした。
 アメリカの資金調達のプロセスは非常に成熟したものであり、10ヶ月資金調達のプロセスは本当に良い経験だったと思っています。香港のシステムとは全く違うものです。非常に効率がよく、公正であるということがわかりました。そこから続くフォームらをまとめるために要した時間は、わずか1週間でした。
 アメリカにおける金融機関で重要なことは、どのように投資を開始するのか、そして投資金を回収するのかということでした。そしてアメリカの場合は銀行において専門のチームがありまして、重要なことはフィルム制作のリスクを評価できる人材がいる、そしてそのリスクを管理出来る人材がいることです。
 リスクが高いのかそれとも低いのかきちんと把握できなければなりません。これは制作者側もきちんと管理をしてフォローしていかなければならないということです。定期的に銀行に報告することによって我々がきちんと契約を守っているということを示す必要があるわけです。
 そしてソニー・ピクチャーズがこの映画を買い取ってくれました。このようなアプローチをし、コミットメントを得たわけです。そしてまた金融機関に戻りまして、ソニー・ピクチャーズがこの作品をコミットしているということを示したわけです。それを示した上で金融機関は投資に応じました。もちろんこれは我々が乗り越えなければならない障害のひとつに過ぎません。
 ロスにはビル・コンが仮に消えたとしても彼が担当した作品は必ず関係者に手渡されるということを保証会社があります。彼らはだいたい予算の3.5パーセントから5パーセントのコミッションを要求しますが、何があっても完成した作品を必ずエンドバイヤーに対して提供するということを保証するわけです。それに対して私たちは例えば第1週目にはどのように作業が進んだのか、第2週目にはどのようなプロセスが完成したのかをレポートしなければなりません。これは我々が保証会社に対して行う1つの仕事です。
アメリカではこのようなシステムが既に完成しているのです。これによって非常に透明な情報が関係者全員に伝えられるわけです。
 私は「グリーンディスティニー」を通して多くのことを学びました。そしてこれが私の今後にとって活かされることであるし、そして私のキャリアに非常に大きな意義を持つことでしょう。
 次の映画「ヒーロー」ですけれども、これに関しては、苦労することはあまり無く、資金調達についても非常にスムーズにいきました。これは監督ジャン・イ・モーのアイディアをもとに制作した映画であります。ジャン・イ・モーは伝統的に中国の制作班と仕事をしてきましたが、しかしこの作品では香港のキャストにも、日本のコスチュームデザイナーが関わったわけです。そしてオーストラリアからは映像のビジュアルエフェクトのチームを迎えました。この作品では私は翻訳し、このチームを統制するという役割でした。そもそも脚本が素晴らしいものだったので、だれもが制作に関わることに快く承諾してくれました。そして配給者を確保して、コミットメントを得た段階で金融機関にアプローチすればよかったわけです。このアセスメントの部分は問題なかったわけです。
 次は管理の部分です。「グリーンディスティニー」に関して我々は多くのことを学びました。アン・リーもジャン・イ・モーも優れた著名な監督であり、そのシステムを理解しておりますし、そのリスクの評価のされ方、会議の仕方にも精通しておりますので、非常に協力的でありました。責任を負おうとする監督と仕事をするということは重要だと思います。マネージメントによっては前に進まないことがありますが、この2つの作品を通して中国の作品も充分にマネージメントが成り立つことがわかりました。
 「ヒーロー」は3000万ドルの予算を必要とし、やはりアメリカの金融機関と接触しました。しかし金融機関の援助なしに、このような大きな予算を必要とする制作をおこなうことはできませんでした。「グリーンディスティニー」に関しましては1500万ドルの投資に対して200万ドルの利益収入を得ることができました。「ヒーロー」についてはわずか1年そこそこで350万ドルの利益収入がありました。制作資金が必要だったのは6ヶ月ないしは8ヶ月の制作の期間だけでした。
 ここに金融機関の方がいらっしゃいましたら私が申し上げたいのは、映画は非常にいいビジネスだということです。そして我々のような顧客がいるということです。私たちは金融機関に対しまして非常に感謝しております。彼らなくしてはこのような作品は完成しませんでしたし、これは彼らにとっても大変よいビジネスだったと思います。
 次に私のプロデューサーとしてのいくつかの考え方に関しましてお話したいと思います。まずは私の背景でありますが、私はそもそも独立系のプロデューサーです。その前に独立系の配給会社の社員として仕事をしていました。
 私が手がけたこの2つの作品ですが、幸運にも非常に優れた作品とスタッフとにめぐり合うことが出来ました。私は金融機関に対する知識も持ち合わせておりませんでした。ただ映画に対する情熱があっただけです。皆さんと同じです。
 ここから申し上げたいことは、アジアには市場としての潜在力があるということ、今後の映画制作の現場としては非常に有効な市場であるということです。「ヒーロー」は中国映画ですがアジアにおいて1億ドルの興行成績を収めることが出来ました。しかしながら、問題となっているのは中国では海賊版の普及により、やはり1億ドルまたはそれ以上の損害をうけているということです。しかし一方でそれだけの損害があるということは、アジア発の映画に関しては非常に多くのニーズがあるということでもあります。ヨーロッパにおいて「ラスト・サムライ」が非常に大きな成功を収めております。そしてアジアのコンテンツに対して多くの関心が向けられているのです。私たち映画の市場はどんどん拡大していると思われます。そして競争もこの先激しくなるでしょう。そして異文化間の制作も増えるでしょう。これはとてもいいことだと思います。競争というのは歓迎するべきことです。
もう1ついえることは、政府はもっと大きな役割を果たすべきだと思います。最近私はちょっとリサーチをいたしました。イギリス、フランス、カナダ、オーストラリア、アメリカでは、映画産業、コンテンツ作りにおいて政府が非常に大きな役割を果たしています。
 1つ事例をあげると、「グリーンディスティニー」に関しては中国で制作をしたのですが、これが成功したことで5箇所のロケ地は観光地として人気を博し、観光収入が上がりました。そしてフランス人やアメリカの中西部人が中国をおとずれています。そういった意味で政府が国として映画産業を援助することは非常に重要だと思います。多くのアジアの国々においても、もっと自国の映画産業をサポートするべきだと思います。
 それから最後になりますが私は日本が大好きです。70年代から日本に来ていますが、特にビジネス環境において外国企業にたいしてやさしい環境を作っていただければと思います。これもまた大変素晴らしい結果に繋がるのではないかと思います。
 

 
 招待講演  NFTSの体制とそのプロデューサー育成
Roger Crittenden氏 
 NFTSと政府と業界との関係が産業にとって非常に重要であるということは明らかです。そして日本においては1つのモデル、模範となるかもしれません。まずは歴史についてちょっとふれていきたいと思います。
 アメリカにおいて1926年当時、既になんらかの形での映像の教育がおこなわれており、1940、50年代教育機関がいくつか設立されました。ヨーロッパの産業界においては1940年代初頭から50年代にかけて設立された経緯があります。そしてこの時期を経て1960年代にようやくイギリスにおいて映画学校が設立されたわけです。政府の試みが遅く非常に他国に遅れをとったわけです。それまでは徒弟制度のなかで人材がそれぞれ産業界に入っていったわけですが、60年代頃にはすでにイギリスにおいては映画産業というものが低迷していたため、新たな世代を育てていかなければならなかったのです。
 そのためにBBCがひとつの役割を担いました。私もその中でやはり研修を受けました。しかしそれ以外にフィルム産業においてもテレビ産業においても人材を生み出す機関がありませんでした。
 NFTSの設立に最も重要な役割を果たしたのが1960年代の労働党党首であり芸術省大臣をつとめたジュニィ・リーでした。彼女により3つの主だった機関が設立されました。オープンユニバーシティ、ナショナルシアター、ナショナルフィルムスクールの3つの機関です。
 彼女は70年代に選挙区で敗退いたしましたが、彼女がこのような実績を残してくれたことに我々業界は非常に感謝しています。
 NFTSが設立された当時はシアター・アーツ部門のトップにコリン・ヤングがおりました。彼はUCLAのトップとして20年間教鞭をとっていたわけですが、NFTSに戻るよう要請されたわけです。そしてその当時、25人の最も熱意を持った学生を受け入れました。
 70年代後半から80年代初頭にかけてNFTSではひとつの苛立ちがありました。というのは25人のディレクターは生まれていましたがそれ以外の新しい人材が排出されていなかったからです。そして80年代の初頭、専門分野に力をいれるべきであるという課題を認識するようになりました。そしてそれぞれの分野ごとに受講生を募集したわけです。80年代から90年代においてようやく全ての分野のカリキュラム作成にあたれたわけです。プロデューシングもそのひとつであります。専門分野の中で最後に取り上げられた分野でありましたけれども、当時の総長であるパットナム卿はプロデューサー部門もカリキュラムに含めるべきであろうという結論に達したわけです。最終的にはその決断に感謝しております。プロデューシング分野が1つの専門課程としてカリキュラムに加えられたことで、ようやくプロデューサーを排出することができるようになったわけです。我々が焦点をあてたプロデューサーコースをおくことによって、受講生は映画制作の全てを体験することになるわけです。アニメーション、ドキュメンタリー、フィクション、全てのジャンルを学ぶことが可能になりました。受講生は1つの分野に偏ることなく、全ての分野を学ぶことができるのです。そして今日では毎年6名、この10分野に受け入れることにしています。ジャンルはアニメーション、ドキュメンタリー、フィクション、デザイン、そして撮影、編集など制作プロセスを全ての分野に対して受け入れています。そしてそれら全ての総合的な映画制作のできる環境が提供されております。可能な限りで学校側は実体験を提供しようという姿勢を持っています。まず1つは独立機関であるということ。政府あるいは業界というのは学術的な機関を設立するものではありませんし、あるいはただ単に産業のためのものであってはいけないと考えています。ですから政府からも業界からも独立した機関というものを目指しました。
 もうひとつ政府が考えていたのは、もしこれが設立するのであれば実際に臨場感のある場所にするべきであると考えました。そして最終的にはベーコンズフィールドの古いスタジオにこれを設立することにいたしました。なんとなくその映画の雰囲気を味わえるような場所です。これこそが学校の行方を決める重要な決断だったわけです。
 そしてもちろんいくつかの専門分野を加え発展をしていきました。その中で80年代にはテレビの課程も含めることになりました。非常に柔軟なシステムを導入して新たな技術、ストーリーテリングの新たな手法というものを取り入れる環境を整えることになったわけです。そしてビジネスで新たな課題があればそれに対応できるようにしています。
 究極的には我々のやっていることはストーリーテリングであります。我々がエディティングの分野に入る、あるいはその楽曲、音響の分野に入るということになりましても、究極的にはストーリーテリングがコアになってまいります。たとえばゲーム会社エレトロにクスアーツは英国において第1の企業ですが、我々に人材育成をアプローチされました。なぜならゲームも脚本からその最終的には音楽の作曲に至るまで、やはりそのストーリーテリングにきちんとした理解が無ければならないからです。どのような仕事をしようとしても最終的にはストーリーテリングをもっと面白くそして魅力のあるものにしようとすることが狙いであるからです。
 設立から30数年、新たなディレクターも加わりました。ニック・パウル氏ですが非常にプロデューサーとして成功をおさめております。「クライムデーター」は彼の作品、ゲームであります。彼はここ数ヶ月、就任しましてから非常な情熱を持って取り組んでくださっています。私どものような教育機関は常に進化を要求されるものですが、色々と取り組んで下さっています。具体的にどういうことをやっているのか、Leeさんの方から自分自身の経験を踏まえてどういった学校かをご紹介いただければと思います。
 
Lee Thomas氏 
 私はACEという欧州のプロデューサーネットワークの一員ですが、フランスやドイツ、イタリアのプロデューサーなどと話をしている中で、また日本に来てプロデューサーの仕事の仕方を見ていますと、国によって実際の作業の内容というのはちょっと異なっているようです。例えばプロデューサーの方とどういう資金の調達をしているかなど聞いてみますと、やはり国によって少し事情が違うようです。よくプロデューサーですというと、あなたはお金を扱う人ですね、というリアクションを受けるのですが、本日集まっている皆さんを見ても、いろいろなスキルが必要で、いろいろな専門分野があるのだということを理解できます。1つの分野に長けているという人が多いと思います。例えば実際の開発、脚本を書いたり見つけたり、そういった素材を見つけてくる、またひとつの新聞記事から映画を作りこんでいくというようなアイディアマンもいると思います。またはセットの現場でのアドレナリンがどんどん出てくるような非常にプレッシャーのある中で働くのが大好きだという人もいるでしょう。また一方で財務面、ビジネス面での交渉から話をまとめるということに長けているプロデューサーもいるかと思います。そういった意味で私の中ではそれを全部こなせるスーパープロデューサーという存在がいるかもしれませんが、これはあまりたくさんいるとは思えません。皆さん自身がどの分野で一番自分の長所があるのか、また他の人からどういったサポートを受けられるのかということをわかっている人がプロデューサーといえると思います。我々の今日のテーマはどうやったらプロデューサーを養成するかということですが、答えは、イエスであり、ノーであると思います。
 例えれば、ストーリーテリングがすごく上手でも、財務面、ビジネス面で弱いという方がいるかもしれません。
 私はイギリスで独立系のプロデューサーをしております。自分自身が会社を設立しています。NFTSを卒業した機会に独立を果たしたわけですが、イギリスにおける独立系のプロデューサーというのは大抵資金を得て映画を製作し、その著作権というものを売ってしまいます。売ってできた資金を元に今度は次の制作にかかりながら、なんとか資金が途絶えることがなく次の制作に着手できるように願いつつ仕事をするわけです。私自身はプロデューサーとしてはビジネス面が弱いということを認識しまして、実際にMBAをとりM&Aを手がけてきた専門家をビジネスパートナーとして選びました。非常に小さな企業ですが、1つのプロジェクトの制作に携わる場合には相当大きな規模になります。
 ここで私がNFTSに通ったかということをより具体的にお話します。
 私はイギリスの大和証券でイギリスの投資家に対して、日本の証券を売っていたのですけれども、つまらないということで、日本に行きました。そして日本で日本語を勉強している中でビデオの制作ですとかパフォーマンス、演劇ということに携わり、そこから今度は電通の映像事業局に入りました。電通で私はサンダーンス・フィルムフェスティバルを日本で開催するというプロジェクトに携わりました。そこでストーリーテリングがいかに重要であるかということ、そして映画においてそれがいかに独立系でも力があるかということを知ったわけです。自分の仕事をする一方で私自身がカメラを回していました。もちろん、作品はそんなに上手ではなかったのですけれども、朝日衛星放送ですとかスペースシャワーテレビで番組を売ることが出来ました。そこで映画制作に携わっていきたいという情熱が生まれたわけです。5年間日本で仕事をした後に、今度はイギリスの映画産業で自分の腕を試したくなったのです。しかし帰国してからなかなかこれは難しいぞということがわかりました。いろいろきいているとNFTSのようなところに入り業界に入るのが一番早道だろうということでした。ただその時NFTSではコースの改編などもありまして1年間授業が一切ありませんでした。私はその1年間試行錯誤していましたが、当時の講師の一人であるパットナムさんからプロデューサーとは何ぞやということについ話を聞き、そこでNFTSの願書を取り寄せたわけです。
 今日のテーマですけれども本当にプロデューサーというのは育成できるのでしょうか? プロデューサーにとって一番重要なのは、オファーされるアイディア、そしてその脚本、いわゆるアイディアを売り物にしているということです。私自身常に8本から10本の長編映画を抱えておりますけれども、やはり開発資金を得るというところでアイディアをまず売って、そこから制作費を調達するわけです。それが我々の交渉力になるのです。ビル・コンさんは謙虚に、たまたまいいディレクターが2人いたから作品が出来たのだということをおっしゃっていましたが、しかしそのアイディアを開発していい脚本を作るには、自分がその脚本を読む目を持たなくてはなりません。確かに読みやすい脚本というのはたくさんありますけれども、映画の脚本の読み方というのをよく知っていないと本当の目は養えません。例えば文芸本を読むというような感じでは映画の脚本を見極める力というのはつきません。小説のアダプテイションをする場合に駄作に終わってしまうことはよくあることです。やはり脚本というのは特別なものです。私はNFTSで、また実際の実務を通して学んだことは、この脚本を読み解く力、そしてストーリーテリングをどう開発していくかということです。
 プロデューサーは脚本家になる必要はないのですけれども、いろいろな方向から脚本を分析し、なぜこの方法ではいけないのか、どうすれば改善できるのか、そのストーリーテリングのところで脚本家にいいアドバイスができなければなりません。そしてアン・リーさんやジョニ−・ウーさんのようないいディレクターとも仕事を出来きるようにならなければなりません。確かに卒業したてではなかなかそのような有名な監督と仕事は出来ませんけれども、実際に映画を製作する、その経験を我々は学校から学びとることができます。そして経験というものは学校のみで教わるものではありませんし、実際にやってみて身につけていくものです。2年半、学校にいた際に短編も含めまして10本、ひとつはアニメーション、ドキュメンタリー3本、その他はフィクションでしたが、短編の映画を製作しました。その制作の経験を通じて、実際に私の制作した3本の作品が、テレビ局に買い取られました。学校の中である程度キャリアを積んでいきますと、実際にもう産業の方々とのコネクションも出来ていますし、認めてもらった場合には実社会に出ても通用するスキルを得られるわけです。そして実習ということで制作もしますけれども、同時にレクチャーという形でいろいろな業界の方々も来てくださるわけです。そしてその制作というのも、ただ制作すればいいというわけではなく、例えば予算があってスクリプトが20ページでこういう規模のものをどういう風に実現化するのか、そういうことを学ぶわけです。予算から企画立案というところですね。ラインプロデュースといわれるところにあたります。予算とスケジュール管理の両方を行うわけです。
 ケン・ローチさん、レベッカ・オブライアンさんという方がこういったことを教えて下さいました。例えば脚本があったらそれに対して予算にどのように振り分け、そしてどのようなスケジュールをたてるかということを学ぶわけです。私はラインプロデューサーとしてアルバイトもしていました。それがそんなに楽しいとは思いませんでしたが、その役割、実務を踏まえた上で自分がプロデューサーとして携わる時には、どういうカットで、どういうやり方がいいか、きちんとした指摘が出来るようになりました。そういうことはプロデューサーの実務を通じていろいろなことが学びとれたと思います。
 もちろん全てのことを学校で学ぶことはできません。しかし、ビジネスの側面で資金管理も学びましたし、会計士のレクチャーでどうやって会社を設立するのか、そして配給の仕方、またテレビ局との交渉について、1回だけの短編の番組からシリーズものをどういう風に制作するのか、そういったプロジェクトをどのようにして実現可能なプロジェクトにしていくのかということも学びました。
 色々な分野について、ざっとお話しましたけれども、後ほど具体的なご質問などがありましたら、お答え出来る限りさせていただければと思います。今日集まっている皆様も色々なバックグラウンドをお持ちということです。すべての方に対して十分にお答えするのは難しいと思いますけれども、今後のイニシアティブなどについてもご紹介できるかと思いますが、ここで一度止めて、今までのところで何かご質問などありましたら、それについてお答えできればと思います。
 

Q: プロデューサーの教育をしている先生についてですが、彼らはもう自らプロデューサーだと思います。どういった先生の研修をやってらっしゃるのでしょうか。
A: プロデューサーのネットワーク、彼らのネットワークは非常に貴重であり、そこから先生としてきてもらっていました。しかし今現在は、大変いい先生が育ちました。彼らは現役のプロデューサーであり、そして彼らは年に1〜2回、自らもプロデュースも教えているわけです。現在は人が見つからないということはありません。自分達の意識を共有したいという人たちがたくさんいますので、先生の候補はたくさんいます。ですから、カリキュラムは客員教授などで充分埋めることができます。教員はプロデューサーだけではありませんが、プロデューサーに限っていえばそうです。
Q: エキスパートのインストラクターの方がトレーニングの先生としてフィルムスクールで教えられるということですが、どのようにして学校にお呼びして先生をお願いしているのでしょうか。先生にはどのようなインセンティブがあるのでしょうか。
A: インセンティブというのは金銭的なものではありません。しかし、2つの例を持って説明したいと思います。
近年においてはスティーブン・フリアスを学校に迎えることができました。ディレクターですけれども、映画製作の合間をぬって来ていただいております。そして最近ですが、彼はある記事の中においてフィルムスクールで教える方が悪質な映画を製作するよりよっぽどましだと言っております。非常に興味深いのですが、より多くの現役のプロフェッショナルが、現場から一歩離れて教えてみたいと考えているようです。
カメラ部門では、8〜9人をチ−ムとして教えることができました。このように工夫が必要なのです。全てをお金で解決することはできません。
大半の分野においては第一線のプロはクラスの前に立って教えることはないわけですが、クラスで教えるという体験をすると、皆さん再び戻ってきてくださいます。横柄な学生の前で話すという嫌な体験をしないかぎりはです。そういう学生は入学させないようにしていますが。
問題の一方は教えることに卓越しているプロフェッショナルを確保するのが非常に大変だということです。私たちはショウ&テルの方法をとっています。第一線の現役、実際に学校で教えた経験の無いような方を招いて、例えば実際に制作したフィルムを持ってきてもらってそれについて話してもらうという、ショウ&テルの方法です。これを行ってもらい、学生と繋がることが出来るのか、コミュニケートすることが出来るのか試してみたりしています。優れたプロであっても教えることが苦手な方もいますし、そしてプロとしては一流ではなくても教えることがとても上手な方もいます。
Q: プロデューサーを育成してその後イギリスの映画産業というのは、そういう方々を受け入れる環境というのは整っているのでしょうか?
A: それはプロデューサーのことに限ってよろしいでしょうか。
プロデューサーという形で卒業生がようこそという形で受け入れてもらえるような温かい環境ではないと思います。しかしたくさんのプロデューサー過程を終了した卒業生が、一定のクオリティーの仕事をしているということは実証できてきたような気がします。それまでは経験に裏付けられた、実証されたコースではなかったわけですけれども、例えばスカイテレビジョンのビジネス面でのプロデューサーをやっているとか、テレビシリーズの監督をやるようなプロデューサーもいるわけです。そして私のような独立したプロデューサーも輩出されています。その中である程度の品質が裏付けされてきたような気がします。実社会にでますと、マクロの構図の中でいろいろなやり方があり、踏襲しなければならい習慣というものもあります。英国には著作権というものを自分の方で保持するということがなかなか難しい国です。まず、映画を公開する、特にプリント代と広告費にお金がかかりますので、配給が難しいのです。イギリスの、イギリス国民に受け入れられるような、小規模の映画を出したいと思うのですが、300万、400万ポンドをかけて作ったとしても、欧州の大陸の方ではもしかしたらその半分製作費ですむかもしれなません。また、アメリカではこうしたインディーズの小規模の制作が可能なわけです。こういった環境の違いもあります。その中でこういったビジネスをきちんと維持する必要があります。また組合の方からも映画制作に携わる人間の賃金もある程度のレベルが設けられています。そしてディレクターからもいい作品作づくりのために、これだけのお金が必要だという要望があります。そういった意味で、この産業の構造についての問題はいくつかあると思います。プロデューサーを養成するのに、この産業自体がいい環境かどうかということはわかりませんが、なかなか厳しい状況であると思います。
例えば、イギリスでは「ハリーポッター」とか「ジェームスボンド」とか「コールド・マウンテン」、「カレンダーガール」といった作品があります。こういった作品はイギリスで制作されますが、これはアメリカ資本がイギリスに対する投資という形になっています。イギリスのみでは資金調達ができなかったので米国資本が流れてくるわけです。そして大きなプ
ロジェクトの場合は、イギリスのローカルなプロデューサーの手元にはあまり資金が残らないというような構図になっています。
例えば「ロードオブザリング」のように大成功を収めるシリーズになったとしたら、私たちの損失は大きいものになってしまします。また、こういった映画学校を持っているからといって実際に映画の配給のされ方、公開のされ方が左右されるわけではありません。そういう意味でブリテッシュ・フィルム・カウンシルの方では250のデジタル画面を設けて違う公開方法のチャンネルを構築したいという考えがあるのです。日本での配給システムは私はよくわかりませんが、優秀な若い新しいプロデューサーなどの才能が芽生えた際にやはり実際に映画を見てもらうことが大切だと思います。イギリスはやはり構造的にみても、配給、公開のチャンネルを造り手が持っていないということで何を実際に上映できるかというのは私たちのほうでは決められないという状況があります。こうした方法を変えていければ、新しい世代のプロデューサーは新しい機会を得られると思います。
Q: 現状ではとにかく企業の中で経験を積んでプロデューサーになっていくわけですが、たとえば企業で勤めながらショートコースに参加する方はたくさんいると思います。またはテレビのディレクターやプロデューサーをやりながら映画を目指したいと、そういうシステムをもひとつの手なのではないかと思うわけです。その辺のイギリスの中での体験を、聞かせていただきたいと思います。
A: フルタイムですとか、短期コースとかいろいろなお話をしましたが、みなさん研修が必要な時に、どういった立場にいらっしゃるかということによって違うと思います。ある有名な先生が、どうやったら自分は優秀なバイオリニストになれるのかと質問したときに、まず優れた音楽家である必要があり、優れた音楽家であるために優れた人間であるべし、という答えが返ってきました。ですから例えばフルタイムで教育を受ける場合、受講者に全体像を与えなければなりません。単にプロセスを教えるだけではなく、何らかの形で彼らの頭の中に映画とはどういうものかという感触を与えなければならないということです。
どんな映画制作であってもそうです。
あとそれは個々人の選択だと思いますが、皆さんのなかで、志向決まっており、その志向が正しいという場合には、必要に応じて短期コースだけをとればいいということになります。ところが人によってはフルタイムを選択する方が適していることもあります。Leeさんが言ったように人との付き合いを通じて、居場所を確立したいという場合もそうです。全ての人がこういう風に成功するとは限りませんけれども、成功するとそれは魔法のように感じられるでしょう。
Q: 学校が今かかえている問題といいますか、つまりパーフェクトに全てのものが出来る組織というのはないと思うのですが、実際に私たちにとって勉強になるような失敗についてお話いただけますでしょうか?
A: すばらしいご質問です。私たちはアニメ部門、ドキュメンタリー部門に関してはかなりいいものが出来ていると思っています。フィクションはまあまあというところでしょうがこれは複雑です。8つのそれぞれ特化した分野があって、それぞれが学校の中とそれ以外のいろいろなところでも貢献しています。
私たちは2つのことを一度にやっているわけです。一方では協調をできるだけ高いレベルに持っていくことを実現しようとしているわけですが、もう一方でユニークな声を拾おうとしているわけです。
広い意味でフィクションにおけるチャレンジ、それは監督にしても脚本家にしてもそうですがユニークな発言をする機会を与えるということ、それと同時にあらゆる分野におけるきちんとしたトレーニングが一様に与えられるということは必要なことあります。
監督だけを育てようと考えていたのであれば、それなりの結果をだしたと思いますけれども、今日では戦いに勝つためには、できるだけその分野を横断的に教育するとともに、ユニークな側面を育てなくてはいけないと思います。
今後どうなるかを予測することは水晶玉をもっても難しいと思います。例えば10人の人が集まってこの先どうなるかを聞けば、10の異なる答えがかえってくるでしょう。また同時に学校は人を教育する場所であります。そして少なくとも今現在、将来のために理想となるような人たちを育てなければいけない、そういった人材を教育しなくてはいけないわけです。それは日々、私たちが抱えている課題であります。成功の数は失敗の数だけあるとはっきり言うことができるわけですけれど、ただむやみに、何の計画性もなくやっているよりは、成功の確立は高いのではないでしょうか。
 

 

   
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